私は強くなった
というか、今までの考えをアンインストして、初期化した。
いつからだったのだろう。ずっと考えてみた。
きっと就職した頃からだ。
この会社に正社員として働き出したあの頃から
私はいい人であるべき。
これが、自分の中で最優先事項であり、疑問を抱くこともなかった。
この会社の一員である以上、いい人であることが当然、いい人であろうと思った
そして退社して、結婚して母になり、更にその気持ちは継続された。
誰かの奥さん、誰かのママは、いい人であるべきで、それが何より大事だと思った。
いい人でいたかった。嫌な人と思われたくなかった
私が想像するいい人は、誰かのためになにかやれるほどすごいひとじゃなくて、
害にならない人、問題に上がらない人である。なんてかなりショボい人。
そんなちっぽけなポジションに長くいたら、それでいいのかどうかも気づかなかったけど、
実はそれは、他の誰かのためじゃなく、嫌われたくない自分のための立ち位置だったことに最近気づいた。
きっかけはテニスだった
勝負の世界に生まれ育ってない私としては、テニスで試合をしても、勝ち負けなんかどうでもよかった。
正直なところ、勝ちたくない。自分が勝つということは相手が負けることを意味し、
相手が嫌がることをやりたくない私としては、試合をすると、心の整理ができなくてどうしていいかわからなくなっていった。
生まれつきなのか、育った環境の影響か、負けず嫌いな娘に言われてハッとした。
「いい人と思われて何になんの?」
嫌な人と思われたくないっていう感情、そう言えば若い頃はあまりなかった
そんなことより自分がしたいことが大事。別にみんなに嫌われてもいいから、やりたいと思うことがあった。
加齢のせいにしてはいけない。ましてや、結婚や子育ての結果、こんな考えになりました。なんて馬鹿らしい。
いい人になるのはやめよう
というより、いい人だと思われたい自分と、さよならしよう。
嫌な奴だと思われたところで、死ぬわけじゃない。試合中、そんな風に思われることもあまりない。
普段の生活で、相手の気持ちが気になるなら、害にならないいい人とか、そんなんじゃなくて、本当に優しい人になればいいし、
嫌な人じゃないけど優しくもない。って人からも卒業しよう
生きてく上で、いい人なんて何の意味もない。ちゃんと役に立つ誰かになろう。
そう思ったら、どんどん攻めるテニスをやることに1ミリの迷いもなくなってきた